2008年12月11日木曜日

第8回 「情熱を持って挑戦し続ける、豪快な生き方」


遅ればせながら、NPO法人ロシナンテスの川原尚行さんを迎えた第8回勉強会
「情熱を持って挑戦し続ける、豪快な生き方 ~『最高に熱いオッサン』来たる~」の模様をお伝えします。
川原さんのお話、本当に熱かったです。感激して涙を流す人が続出でした。

☆川原尚行(かわはらなおゆき)
1984年 福岡県立小倉高等学校卒業 (ラクビー部主将を務める)
1992年 九州大学医学部卒業 (ラクビー部主将を務める)
1998年 外務省入省 在タンザニア日本大使館二等書記官兼医務官着任
2001年 ロンドン大学にて熱帯医学を履修
2002年 在スーダン大使館一等書記官兼医務官着任
2005年 スーダン大使館を辞職、NPO法人ロシナンテスを設立

※ 奥さんと3人のお子さんは、スーダンから遠く離れた北九州で暮らす。  
   長男はこの春より小倉高校に入学し、ラグビー部で活躍中。

☆NPO法人ロシナンテス
・スーダン共和国において医療を中心とした活動を行うNPO法人
・川原尚行医師が、大使館に勤めていた時、スーダンの現状を見て一医師として何かできないかと外務省を辞め、スーダンで取得した医師免許のもと医療活動を始めたのがきっかけに設立
・NGOのメンバーやサポーターは、ほとんど高校のラグビー部関係者
・団体ホームページ 
http://www.rocinantes.org/aisatsu.htm  
            (↑特に設立経緯の部分はアツいです!必見!)















実は今日、サンダルで来ました(笑)
寄生虫疾患(リーシュマニア)にかかって足が変形していて靴が履けないんです。 昨日も北海道に行きましたが、それもサンダルでした。今回の滞在で15回以上講演がありますが、 今回が一番気合入ってます。よろしくお願いします!

【川原さんとアフリカとのかかわり】

動機はミーハーなもんでした
私はラグビーずっとやってきまして、大学卒業後すぐに、高校のラグビー部でマネージャーをやっていた奥さんと結婚しました。自分はずっと海外に行きたい気持ちがあったし、奥さんもラグビーが好きだからニュージーランドに行きたいと言っていたんですが、お金がなくて、新婚旅行は「JRで行くハウステンボス二泊三日の旅」でした(爆笑)その後は外科医になり、忙しくて海外どころではなかったです。

ところが、外務省と提携している九州大学の海外派遣プログラムに応募したところ、応募者が私一人だったため見事に選出され、タンザニアへ医務官として1年間派遣されることに。応募の動機は、「海外に行ける!」というミーハーなもんでした。

初めての海外生活をタンザニアで過ごしているうちに、アフリカの人や大地が好きになって、正式に外務省に転籍することで当初一年の予定を、結局三年過ごすことになりました。転籍後は、ロンドン大学等で熱帯病(リーシュマニア等)を勉強して、その後スーダンへ医務官として派遣されることになりました。医務官時代は、在留邦人を主に医療面からサポートしました。














【外務省辞職】

安定的なポジションに全く魅力を感じなかった
「もうどうでもええ」「自分の好きなことをやろう」

スーダンは、国土が日本の6.5倍、人口3500万人の国です。みなさんはスーダンに対して、内戦が多いなど、マイナスのイメージを抱かれることだと思います。事実、断続的に50年もの期間内戦を繰り返してきており、私が赴任した2002年も、内戦中でした。今年の5月にも、普段は平和な首都ハルツールにダルフールの反政府軍が攻め上がってきました。また米国はスーダンを「テロ支援国家」と認定し、一時期はアルカイダが潜伏しているとして化成工場などへのピンポイント爆撃を行うなど、政治的にも非常に難しい地域です。

日本とスーダンの関係でいえば、日本のODAは1992年から止められており、私が現地で活動を開始した頃は、在留邦人はたったの20人くらいしかいなかったです。そんなわけで、医務官としての仕事はさほど忙しくはなく、医療系の国連やスーダンの大学などと共に医療活動にも従事していました。

それでは、「私はここスーダンで一体何をするか?」ということを考えたのですが、私は医者なので、目の前に病気で困っている人達に対し、なんかしてあげたくなりました。ところが、医務官として医療活動をすると、日本政府が援助を再開したととられるため、できない。私は医者である前に国家公務員であり、国家公務員である限り国の方針に従わなくてはいけない。このことは重々承知していました。しかし、目の前の病気の子供たちを前に何もせずに立ち去ることは非常に辛く、忸怩(じくじ)たる思いでした。外務省からは、何もせず黙っていれば、次はヨーロッパとかアジアのいい国に派遣される、とも言われていました。しかし、その時の自分はアフリカでの様々な経験から元来持っていた価値観がすっかり変わってしまっており、そういった安定的なポジションに全く魅力を感じなかった。そして、「もうどうでもええ」「自分の好きなことをやろう」と思い立ち、外務省をやめて、自分で活動していくことにしたんです。

【ロシナンテス結成】

支えてくれたのは高校のラグビー部時代の仲間
2005年に外務省辞めて、どうしようかと、、、全く計画なし(笑)とりあえず、医者だから医者でやるしかねえかなと思いつつ、帰国しました。

この時を支えてくれたのは、「川原が困っているなら助けてやろう!」と言ってくれた高校のラグビー部時代の仲間達でした。アフリカなどを放浪しまくっている高校の部活の後輩、霜田(霜田治喜氏、現スーダン駐在スタッフ)と20年ぶりにばったり再開して、「俺スーダン行くからついて来い」と言ったら、二つ返事で「はい!」と(笑)。私の奥さんもマネージャーだったので、後輩の霜田が一緒になってくれたことを喜びました。その時、「あ、私には高校のラグビー部がついているんだな!」と気づいたんです。

霜田とスーダンに旅立つ時前に、母校の時の校長先生に「応援団を貸してほしい。フレーフレー川原と言ってほしい」とお願いしたんです(笑)校長先生は「よかばい」ということで、応援団とラグビー部を貸してくれ、「フレーフレー川原!!」と言ってもらえたんです(爆笑)この時、ありがたいことに白い中古のワゴン車も頂いて、ワゴン車には応援部とラグビー部の主将に気合いを込めて「目指せ花園」と一筆書いてもらいました。ポンコツ車でも、こうすると魂が入るんです!

霜田と中古車の他に、もう一人、竹友(竹友勇二氏、現ユニセフ職員)という高校の部活の一つ下の奴がいます。私がタンザニアの医務室で診療活動をしている時、彼が偶然「頭が痛い」と患者として来たのが運命の再会。お互いかなりびっくりしたが、そのまま酒飲みに行きました(笑)「ところでお前、なんかあったんか?」「あ、そういえば頭痛かったっす」(爆笑)彼はユニセフで働いていて、タンザニアの奥さんもいて、子供もいたので、家族ぐるみで付き合いました。その後、国連職員としてイラク等を転々としていたが、ある時「タケトモ、スーダン来いよ!」と誘ったら、「はい!」ということで見事国連のスーダン事務所に来た。ちょうど私が外務省を辞める辞める3日前だった。こうして、高校時代の3年(川原さん)、2年(タケトモさん)、1年(霜田さん)という奇妙な三人でスーダンでの活動が始まったんです。。。

【ロシナンテスの活動】

重要なのは、活動前に村の酋長に仁義を切ること
で、何をやったかと言うと、私たちが活動できるような組織は全くなかったので、単身病院で外科のチームの一員として活動を開始しました。

しかし、どうしても無医村に行きたいという思いから、次の年から伝染病の感染者が多い村での巡回診療を開始しました。村で医療活動を行う際に重要なのは、活動を行う前に村の偉い酋長さんに仁義を切ることです。一緒に寝泊まりしながら、私という人間をわかってもらい、信頼関係を築いた後に、初めて診療活動をする。医療というのは、患者と医者の信頼関係。それは日本でもスーダンでも一緒。酋長さんが信頼してくれると、村人も信頼してくれるし、次の村も紹介してもらえ、身の安全まで守ってくれるんです。

各地の村を巡回診療していくうちに、色々考えることがあり、一つの村に入り込んで腰を据えて診療活動するために、ある村に入り込みました。相変わらず私は真っ先に酋長さんのところに行きます。その村の酋長さんは、ハサンという人で、今では私と盟友関係にある人なのですが、彼の信頼を勝ち取り、その村での診療活動を開始しました。

当初は自分一人でやっていたけど、自分が帰った後のことを考えて、現在はスーダン人のヘルスアシスタントを10人くらい雇っています。彼らのベーシックサラリーは保険省が払ってくれ、我々はインセンティブを払う。全部のサラリーを我々が払うのではなく、現地の行政も巻き込んでやっていっているのがポイントです。

酋長ハサンと川原さん(photo by 小沼大地)

どんなに回り道してもいい
そうしてるうちに足腰が強くなる
村で医療活動をする上で意識しているのは、村人たちと密にコミュニケーションを取ること。自分が未来永劫その場所にいることができないので、彼らと良いものを出し合って良い診療体制をつくっていく、診療所の運営に工夫をこらす、そういう地道なコミュニケーションを心がけています。しかしこれは、本当に大変で、衝突の連続。ものごとは、何事もすんなりうまくはいかない、すごく大変。これに対し、お金をかけてショートカットする方法もある。しかし私は、金をかけてショートカットしていくよりは彼らと喧々諤々やりながらずーと遠まわりしながらやっていった方が、結局は足腰鍛わってその先の発展ができるんだと、信じています。 たとえ何をやってるか分からなくても、どんなに回り道をしてもいい。そうしてるうちに足腰が強くなって物事を成し遂げることができるんです。

「ドクター川原ありがとう」ではなく「神様ありがとう」
ある時、日本で廃車になる寸前の中古の救急車を輸入することになったことがあります。実はスーダンの病院で活動していた頃に2代ほど導入したことがあり、今回も同じスキームで楽勝!と思っていたのですが、そうはいかないのがスーダン…。今回は法律変わってしまって、右ハンドル車はダメ、登録後3年以上経過した車はダメということで、スーダン政府から受取を拒否されてしまったんです。

そこで先ほどのハサンに相談したところ、ハサンは酋長of酋長とでもいうべき(笑)オスマンさんに相談してくれたんです。オスマンさんは超人情派、浪花節で生きている人で、「けしからん!」とその場でむっと立ち上がり、そのまま州知事のとこに怒鳴り込んでいき、「まごころはちゃんと受け取らなあかん!!」と(大爆笑)その後、紆余曲折いろいろあったが、最後は法律を曲げて受け取ることができちゃいました(笑)これがスーダンの面白いところ。

そしていよいよ救急車が到着した際のことです。村人は皆「ドクター川原ありがとう!」ではなく「神様、ありがとう」というお祈りを捧げたんです。ドクター川原と救急車を派遣してくれた神様に感謝しているというのです。彼らが感謝する対象はやっぱり神様なんですね、私はこういうのがすごく好きです。

診療中の川原さん(photo by 小沼大地)


【スーダンでの生活】

何もないけど、何かがあるスーダン
何でもあるけど、何かがない日本
自分が住む家は、村人と同じがいいなと思い、実際に「グッティーア」というスーダン農村部の伝統的な家に住んでいます。日干しレンガで土台を作り、その上に木で枠組み、茅葺みたいものを載せて完成する、「三匹の子豚」に出てくるような簡単なつくりの家です。食事は、ひえとかわらを粉にして水にとかしたアシーダなどを、外でみんなと同じ皿で食べます。みんなで食べると、すごい美味しいんです。

お月さまも奇麗です。お月さまがなくなれば、万点の星空、天の川、南十字星も見えます、本当に奇麗なんです。不便で何もないところだけど、「スーダンには何もないけど、何かある」と感じます。逆に日本に帰ってくると、「日本には何でもあるけど、何かがない」、そんなことを思ってしまいます。

川原さんの診療所があるシェリフ・ハサバッラー村(photo by 小沼大地)

【今後のロシナンテス】

きっちり自分の足で立つ、そういった支援をする
今度の活動は、まず足元では水質改善。患者さんを診ていると、下痢やコレラが流行っています。原因は水なんです。
それと、学校教育。現在の村の教師は、街の人を村で雇っています。村の人が教師になるのはなかなか難しいです。でもそれじゃだめだと、日本のODAで村に学校をつくったんです。

それから、スーダンサッカー協会のお偉いさんが日本に来た際、偶然に偶然が重なって日本サッカー協会の川渕氏に紹介することができて、そこで意気投合したことでサッカーボールを100個寄付してもらいました。これを機にロシナンテスではスポーツ事業部を立ち上げることになって、担当者は現在スーダンのナショナルチームのU20のコーチに就任しました(笑)スーダンとは本当におもしろいところです。

また、紛争の続くダルフールには今年2回視察に行きました。ダルフールに関しては、国連、欧米諸国、スーダン政府、難民、それぞれで見方が違うんです。なので、どうしても自分の目で確かめたいと、国連のヘリ乗って行ってきました。

ダルフールでは、国連やNPOの活動により、住居も水も食糧もなにもかもよく行き渡っていました。しかし、難民の人たちはもらうばかりでは、人間が進歩しない。きっちり自分の足で立つ、そういった支援をすることが必要だと強く思いました。

そんな時、これだ!!とひらめいたのが、サッカーを切り口に何かできないかということでした。その後、自分の足で立ってほしいという想いで、ロシナンテスからは彼らにサッカーボールをプレゼントしました。

【コンパスポイントのみんなに伝えたいこと】

人は死んでいくもの

でも、魂を仲間につないでいけばいい
昨年から悲しいことが続きました。スーダンでの診療活動において私の右腕だったムスタファ君が、二月に交通事故で亡くなりました。スーダンにも来てくれた友人の廣瀬医師も、事故で亡くなってしまいました。彼は開業したばかりで、ガンの治療を末端レベルでやろうと、大変高い志に燃えていました。それに、竹友君の奥さんも、交通事故で亡くなってしまった…

こうした別れを経験し、考えました。「人というのは死んでいくもの。家族をつくり、子どもをつくり、そして死んでいく。だからこそ、もらい受けた生を一生懸命大事に生きていかなかんな」、と。亡くなった人も、それぞれ志を持ってやっていた。私の中にムスタファ君や廣瀬君や竹友君の奥さんがいる、そして彼らの魂というのはつないでいかなかんなと。いずれ私は死んでいくが、でも、若いみんなに今日こうやって接して、私の魂の一部を分け与えようと思う。そして君たちは、それを持って生きていき、次の世代につないでいく。そういったことが大事なんじゃないかと思っています。

ベースは家族。家族がいるから、がんばれる
私は、家族がいるからがんばれるのです。私の妻は、私の最大の理解者であり、一家の稼ぎ頭です。外交官夫人として悠々自適の生活をしていたにも関わらず、「俺、やめるけんね」と切り出した時は、「あんた言い出したらきかんもんね。」と自分のことを認めてくれました。彼女あっての私です。また、長男は私と同じ小倉高校のラグビ部に入りました。すごく嬉しい。明日も試合です。長女は、私に一番メールをくれます。この間も、「お父さんと映画を見に行きたい」ということで、デートしてきました。次女の書いた私の似顔絵は、近所のスーパーで金賞を取りました。この一枚があれば、私は一生がんばれます。私のベースは家族です。家族がいるからがんばれるのです。


【ロシナンテスの想い】

とにかく前を向いて進んで、
それが足跡になればいい
最後に、ロシナンテスの名前の由来をご説明します。最初、私がいて、霜田がいて、あのポンコツ車がいて。なんとなく、自分のことをドンキホーテ、霜田がサンチョパンセ、あのぼろ車がロシナンテ、という思いでした。ロシナンテは、ドンキホーテが乗る痩せロバ。ドンキホーテは風車に立ち向かっていようなアホですが、なんとなく自分自身もそんな感じがしていて…。ロシナンテ自体はやせ馬でちっぽけで、私自身も非力ではあります。でも、皆さん方と一緒になって何か新しい想いを持ってやっていけば、きっとなにか新しいものをつくっていけると、そう思っています。

もっと言うと、アルゼンチンのお医者さんだったチェゲバラです。カストロと一緒にキューバ革命成功後、地位を捨てて、「もう一度、ロシナンテの背中に乗りたい」とアフリカに行きました。私はこの言葉がすごく好きで、これにも影響されています。
私たちのやっていることは、小さな小さなことですが、それでもとにかく前を向いて、一歩ずつ進んでいって、それが足跡になってくれればいいかなと。そんな想いで生きています。














【質疑応答】
Q:川原さんは自分のやりたいことを現地でもできるよう活動をされていて、それに感動しました。一方、今後色々なことを実現していくうえで、政治の役割が大きいと思います。今後の医療の主体と担っていく政府に対して、何か提言したり、働きかけをしていますか?

A:あまりに政治的になり過ぎても後々よくないなと思うので、なかなかNGOレベルが政府に提言することは少ないですが、地方レベルの行政を巻き込んだりはしています。外務省時代のつてもあるので、スーダン政府の上の方の人と話すようにもしています。


Q:色々なプロジェクトをいろんな分野でやられていますが、最近面白いなと思うものは何ですか?

A:診療所自体は地味な活動だが、地元の人に接して、衝突しながらも解決していくことが面白いです。それからスポーツ事業は若者受けがよく、スポーツを通じて色々やれそうなので、これが結構面白い。それともう一つ、アリ先生(名桜大学教授、在日15年)と一緒に、スーダンで携帯を用いた若者のオンラインコミュニティみたいな仕組みを作ろうとしています。誰か今日協力してくれる奴がいないかなと、後でスカウティングします(笑)


Q:私は物心ついた時から、河川のために生きていきたいと考えています。「何かやらなきゃいけない、世の中のために何かしたい」と思っている人が、世の中にはすごく少ないのではないか、と最近強く思います。なぜ、川原さんは世の中のためになることをしたいと思える人間になれたのでしょうか?いつ、そう思えるようになったのでしょうか?

A:アフリカに行った時、冷静に日本を見えるようになりました。あぁ、自分の国が大好きだと。私は日本大好き。けれど、何か日本て足りないなとすごく感じています。帰国するたびに、嫌なニュースを聞き、何か嫌な思いをします。また、私は本を読むのが好きで、幕末の本を読むことが多いです。ある時京都に行ったことがあって、そこに無名の長州の志士の墓があって、その時、涙を流してしまった。彼らはほんとに日本のことを思い、亡くなっていった。それがたかだか100年前。そういう若者がいたからこそ、日本は黒船が来て以来、植民地化されることもなく今日までやってこれた。なのになぜ、今のこのていたらくは!?という気持ちが強いです。それならば、私がやっている小さいことが、日本を少しは機動修正してくれたらいいなと、そう思っている。アフリカのいいところを日本に取り入れてちょっと機動修正してくれれば、日本はいい国になるのではないかと、思っています。













Q:今日の話を聞いていて、川原さんが家族をすごく大切にしているなと思いました。で、僕自身、小さいころから、自分なりの夢とか情熱があり、日本をこうしたいという想いがあります。結婚して、家族ができてから、自分が今まで考えていた夢や情熱を追い求める際、家族と夢との間の葛藤があれば教えてほしいです。

A:最初に見た映像の中でも、新幹線の中で私はわんわん泣いていました。別れのときは、いつも辛い。けれども、やらなきゃいけない、やるしかない、今しかない、と思っています。でも、離れていてもいつも私の心の中には家族があり、家族の心の中にも私がいる。そういうつながりはいつもある。確かに両立は難しい。別れて行く時は今でも辛い。ただ、子どものことも考えて、あと5年くらいで形をつくって、日本に半分くらいはいれるようにと思っています。家族のことは常に頭にあり、考えています。


Q:①ロシナンテスの今後のスーダンでの最大のチャレンジは何ですか?②お金以外で、日本からあって嬉しいサポートは何ですか?

A:①よくゴールについて聞かれますが、小さなゴールはいっぱいあります。でも、大きなゴールの一つは、ダルフールの問題。そこにチャレンジし、今、サッカーとかITを使って何かできないかなと考えています。あとは、アフリカ全体として、このままでいいのかとも思っています。今の枠組みの中では絶対うまくいかないと思うので、何らかの変革が必要です。ただ、これは私一代ではどうしようもないが、きっとあとに続いてくれる人がいるはずです。
②日本でできる支援は、資金も大変ありがたいですが、若い人のアイディアとか、例えばアリさんのアイディアに協力するとか、そういったことが嬉しいです。あとは、注目してくれることでしょうか。我々から発信する情報を受けて、自分の頭で考えてくれることを期待します。


Q:今日はハートの熱くなる話をありがとうございます。今日の話の中で、「足腰が鍛えられるには、衝突して時間かけて、遠まわりすることが必要」という指摘が面白かったのですが、そこで一つ、無償で医療を提供するのでなく、なぜ医療活動の中にお金を織り込むのか、そこの考え方をもう一度教えてください。

A:例えば大災害時は、無料が基本だろうと思います。ただ私が今やっていることには、その先がある。私がやっていることが無償だったら、私が立ち去った後、後が続かなくなってしまいます。ただそこでお金をもらえば、彼ら自身の手で診療所が回り、次世代も持続できる。それに、無料だとモラルハザードが起こって、何百人とわっときてしまう。未来に持続可能となるようなカタチを考えて、有料診療としているのです。


Q遠周りすることで足腰が鍛えられるということに、なるほどと思いました。でも、遠周りすることで、めんどくさいことや壁にぶち当たることが多いとも思います。自分のモチベーションを保つ秘訣は何かありますか?

A:う~ん、何ですかね?まあ、私はどちらかというと楽天家なので、あまり深く考えないです。結果的に、遠周りだったという感じもあるので…(笑)ただ、目標というものがあるので、一歩ずつ、明るく目標に向かって進んでいくことが大事だと、アフリカから学びました。お金があればポンっと、てのはやりたくないなと。


Q:HPに、「アフリカのために、日本の将来のために」と書いてあったが、日本の将来のためのビジョンについてどうお考えですか?

A:なかなか言うのは難しいですが、日本にいると「何かおかしいな?」「ぎすぎすしているかな」と感じます。医療ということで言えば、訴訟が増え、医者と患者の間がぎすぎすしています。患者は構え、医者は逃げる。なんかそういう悪循環、悪い方へ悪い方へいっている気がします。医者と患者の関係は、やっぱり信頼関係を結ぶことが大切です。でも、学校などでは子供と先生、親と子供とか、そういった関係者が、自分の権利だけを主張しているような日本になってきているんじゃないかと。パブリックを見渡す意識が薄れていっているんじゃないかと思います。人と人の関係、人と自然の関係、っていうのを見直すべきじゃないでしょうか。逆にこういったことは、アフリカの方がちゃんとできていると思うので、今こそアフリカから何かを学んで、昔日本にいっぱいあったそういうモノを日本に取り戻せられたらいいなと思います。


(photo by 小沼大地)


そして講演の最後には、スーダンの素晴らしい写真のスライドショーと
さだまさしさんの名曲「風に立つライオン」が流れる映像作品を鑑賞しました。
本当に本当に、素晴らしかったです…

第2部 ランチ懇親会&ワークショップ

今回は運営担当のまきちゃん・あっちゃんのアイデアでランチ時間にワークショップを行い、いつもと違った雰囲気の中でメンバー同士が川原さんからどんな刺激を受けたのかを共有しました。

↑懇親会で恒例の3分間スピーチをした、「いいとも」と「うっちー」

メンバーの興太が持参した日本酒一升瓶があっという間に空いてしまうなど、異常なまでの盛り上がりを見せました。 そして最後には、川原さんから「来年、またやろう。毎年集まろう」という、素晴らしい言葉を頂き、一本締めをしてお開きとなりました。

川原尚行さん、やっぱり最高に熱いオッサンでした。
本当にありがとうございます!


コンパスポイントのスタッフと肩を組む川原さん

今回の運営責任者の美女2人(あっちゃん、まきちゃん) と野獣


☆お知らせ

勉強会中にも紹介がありましたが、ロシナンテスは「カレンダー(1,000円)」「ボールペン(2,000円)」「携帯ストラップ(800円)」などのグッズを販売しています。これらのグッズの売上の半分はロシナンテスを通じてスーダンの支援に役立てられる仕組みになっています。コンパスポイントでも商品の販売を代行するので、欲しい方はいつでもメールをください。ちなみにコンパスポイントのスタッフたちは全員愛用してます(笑)

2008年12月5日金曜日

第9回コンパスポイント開催しました!

こんばんは、コンパスポイントのシンタです。
11月29日、第9回コンパスポイントを開催しました!

今回は「教育」プロジェクトの第一回!
ゲストは元楽天副社長、現在は株式会社音別代表取締役、:その他、学校法人、奨学財団の理事、評議員、企業の社外取締役、複数のNPO法人のアドバイザーを務めていらっしゃる、本城慎之介さんと、


東京都北区の小学校で教諭をなさっている、矢花祈さんをお招きしました!!



今回は本城さんに多大なご協力をいただき、これまでにはない新しいワークショップができました!
コンパスポイントのワークショップを改善していく上でも、とても気づきの多い会になりました!


詳細は後日ブログにアップしますので、乞うご期待!

ではでは。









2008年11月3日月曜日

第8回目コンパスポイント(川原尚行さん)を開催しました!

こんにちは、コンパスポイントのカズです。

11月1日に第8回コンパスポイントを開催しました!
今回は、NPO法人ロシナンテス代表 川原尚行さんをお迎えしました。

参加してくださった皆さん、ありがとうございます!
当日はなんと45人もの方に参加いただきました。
ありがとうございました!

前半部分で川原さんのお話を聞き、
後半部分で懇親会もかねてワークショップを開催しました。

なんというか、一言で言うと、とにかく熱かったです。
感動して涙する人も!?

詳細は追ってブログにアップするので、乞うご期待!


2008年10月5日日曜日

9月27日 コンパスポイント リフレクション セッションを開催!

どうも、コンパスポイントのカズです。

9月27日にリフレクション セッションを開催しました!



コンパスポイントは1月にスタートして、9月が経過しました。
今まで、数々のスペシャルなゲストの方々を招き、
スペシャルな仲間たちと多くの刺激を共有してきたと思ってます。
第1回: 本木恵介さん (NPO法人かものはしプロジェクト共同代表) 
第2回: 藤沢烈さん   (株式会社RCF代表取締役)
第3回: 呉哲煥さん   (NPO法人CRファクトリー代表) 
第4回: 寺井元一さん (NPO法人KOMPOSITION代表) 
第5回: 藻谷浩介さん (日本政策投資銀行) 
第6回: 今村久美さん (NPO法人カタリバ代表)、
     小田部巧さん (NPO法人創造支援工房フェイス副理事)
第7回: 川渕友絵さん、ケビン・キャメロンさん(One Life Japan共同代表)

運営面でも、みなさんからいろんなアドバイスをいただきながら、
なんとかここまでいろんな「場」を提供できたのではないかと思います。

27日に開催したリフレクションセッションでは、

①これまでのコンパスポイント 〜よかった点と今後の課題〜
②これからのコンパスポイント 〜課題に対する改善策と今後の可能性〜

についてみんなでブレストしながらいろいろと意見やIdeaを交換することができました。

参加してくださった仲間のみんな、ありがとう!!

ここでは議論された内容を簡単に紹介します。
みんなから出た意見・提案・感想です!

【よかったこと】
色んな人と会って、考えの幅が広がった
様々なチェンジメーカーと直接会えたこと、話せたこと
世の中にこんな人がいるんだ~(講師の人たち)
MLや個人の繋がりを通じて情報が得られる
面白い人沢山いる
けど面白い人に会うだけじゃ面白くなれないとの気づき
面白い同世代との出会い
友達がたくさんできた
自分と同じような興味・関心を持っている人々とのネットワーク
個人的な深い話が聞けた
私にとっては斜めの関係
社会人観が変わった貴重な機会

行動に対するハードルが低くなった
動くための議論(議論のための議論じゃない)
面白いことを企画しやすくなった
世の中へのアプローチの仕方
CP企画過程から学びました、ガントチャートとかすごい。
自分のやりたいこととか好きなことの輪郭がぼやっとだけど見えてきた
自分の人生について真剣に考えた
自分は何をしていきたいのかポジティブに考える機会
自分も何かをやりたいと思えた
日常生活で何ができるか?

【これからの課題】
ディスカッション内容が似通っている。
話す内容がいつも一緒。
ワークショップをしながら新しい発見がない。
扱うテーマ=志が抽象度が高い。→話せる内容が毎回進歩しない。

参加者がよく似ている。(年代、バックグラウンド、学歴、価値観等)
根本から価値観が変わるような出会いはない。

刺激を受けるだけで、アウトプットを生み出していない。
成果が個人ベースなのでコンパスポイントとしてのachievementは測りにくい
自分自身の変化に、自分で気付きにくい(楽しいけど、それは刺激か?)

意外とface to faceで深い話ができていない。
メンバー同士の対話が不十分
定例会以外の活動が少ない
飲み会が少ない
もっとみんなと仲良くなりたい

スタッフと参加者の間に距離がある。
自分はコンパスポイントの参加者だけど、コンパスポイントのメンバーとは言えない。
メンバーは、やっぱりスタッフの4人のような気がする。
参加者と「一緒にやってる感」が足りない。
参加者を全員「メンバー」と言えるようにしていきたい。

【これから何をするか】

①ワークショップの脱マンネリ化
ワークショップのテーマがマンネリ化しないために、今後何をどのようにすればいいか、話し合いました。
テーマの設定については、例えば教育や国際援助等々の個別専門性の高いテーマを設けるのではなく、
引き続き「志」をテーマにすることがコンパスポイントの強みを発揮することになるとみんなからコメントもらえました。
ただしそのやり方について今後工夫が必要かな、と。
一回、一回のワークショップに連続性と一貫性をもたらせつつ、一回一回のワークショップが完結する方式がいいのではというIdeaも出ました。ドラマでいうと、Sex and the Cityのように笑
これはやり方を今後みんなでさらに考えて行きたいと思ってます。


②行動へ移すには何をすべきか
ここではとても面白い議論がされました。
コンパスポイント自体が行動を起こす団体になるのか(飛行機型)、
あるいは行動した人、あるいはこれから行動する人たちをサポートするのか(空港型)、
あるいはコンパスポイントが団体として行動しながらも個別に行動する人たちをサポートするのか(空母型)

コンパスポイントがどういう場であるべきか。。。
これはこの日の少ない時間内に結論は出ませんでした。
今後参加者と一緒に検討していきたいと思ってます。


③これからやりたいコンパスポイントの場で何をやりたいか
いろいろ面白いIdeaでました笑
その一部を紹介します。

ホームページ
オンライン人物図鑑
掲示板
書評
メンバーの情報発信

インフォーマルML
みんなのブログポータル
日記リレー
携帯ML
SNS
イヤーブック
オフィシャルグッズ
-キーホルダー
-ストラップ
-タンブラー
-USB
-Tシャツ

図書館

パーティー
スポーツ大会
コラボ地域企画

シェアハウス体験/開放日
スタンプラリー
お料理教室
畑づくり
座禅
映画を観る会
演劇をやる
アートで何か

パワーブレックファースト
ブレスト大会
ディベート対決
フィールドワーク
インタビュー会
コミュニティ対決

コンパスポイントは、

【刺激を受ける場】   勉強会の場で刺激を受ける
【仲間作りの場】    志を共有できる仲間ができる場
【刺激を与える場】   メンバーが他メンバーに刺激を与える場
【応援する場】     既に挑戦している人たちを応援する場

こんな機能があると僕たちは思ってます。

27日の様々な議論を踏まえ、今後は

「脱マンネリ化」
「みんなともっと」
「行動へ」
「講師との継続的なつながり」

をキーワードに、これからの方針やプランを考えて実行に移して行きたいと思ってます。

そして、それはみんなと一緒にやっていきたいと思ってます。
それぞれの課題について、タスクフォース的なものを立ち上げこれから進めていこうと思います。
みんなと一緒に今後もコンパスポイントという場を作って行きたいと思ってます。

熱くて、楽しくて、そしていろんな気付きがある場。
意外と周りにないのではないか・・・

これからもコンパスポイントをもっともっと熱くて楽しくて、なんだか来たくなる場にしていきたいと思っているので、
引き続きよろしくお願いします!!


ではでは。



かず



















2008年9月21日日曜日

第七回コンパスポイントwith One Life Japan @長野県栄村 Part2

皆様こんにちは!前回に引き続き、わたくし桑名が合宿二日目の模様をお伝えいたします!!

合宿の二日目は、
①早朝乳しぼり & 散策
②取れたて新鮮食材の朝食
③分散活動
④振り返りリフレクションタイム
となっております。

昨日の分に引き続き、写真を中心に掲載しますので、
その雰囲気の一端を感じ取っていただければと思います!



◆早朝乳しぼり & 散策

朝です。



朝一で、久保田さん家の牛舎にお邪魔しました




久保田さん



牛さんたち




牛の乳の絞り方の説明を受けます。
多くの参加者が牛の乳を搾るのは初めてで、真剣そのもの。




いよいよ絞り始めます!




皆なんだかギコチナイですね~




モー




ほれほれほれ~!! 手慣れた感じです♪




絞った後は、お約束の試飲タイムです!


味皇


「う、うまいぞーー!!!」




ちなみに久保田さんちの牛乳、
国道沿いにの道の駅「信越さかえ」(http://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/road/eki/station/nagano_sakae/index.html)
にあるお店でソフトクリームとして堪能できます!


「はい一丁あがり~!」




このソフトクリーム、めちゃめちゃ美味いんです!
筆者は子供の頃よく信州を旅行し、その土地土地で様々な絶品ソフトクリームを食べてきましたが、久保田さんちのソフトクリームは絶品中の絶品!!濃厚だけれどもあっさりしており、爽やかな後味を残してくれる、むちゃくちゃ美味しいソフトクリームでした。

それもそのはず、北海道出身の奥様と共に全国のソフトクリームを食べ歩き、研究に研究を重ねて現在の製法で作られているとのことで、美味しくないはずがありません!ぜひ、またいつか食べたいです。



久保田さん、牛さん、 ごちそうさまでした!




乳しぼり体験に続いては、ケビンさんがエスコートする朝の散策です!






JR西日本のCMに出てきそうなお寺に到着しました。


寺の鐘です


不届き者のリンボーダンス



だんだんと空が白やんできました、、、


日本の夜明けは近いぜよ




ちなみに私を含む男性4人(川瀬含む)は、完全に寝坊し、上記活動に一切参加できませんでした、、、
そのうち3名は元ラクロス経験者で、「ラクロス部は朝に強い!」という定説は完全に覆される結果となりました。。。


どうしても起きられない昨年度学生No.1アタック



あくまでも「寝坊していない」と言い張る川瀬





◆取れたて新鮮食材による朝食

いよいよ朝飯です!



エグゼクティブシェフの技が光ります!!



朝食の準備をしてくれたみんな、どうもありがと~!!


さてさて今朝の献立は、
・久保田さんちの取れたて新鮮牛乳
・村を歩いていておばあちゃんからもらったトウモロコシ
・スクランブルエッグ
・やっぱり歩いていたら手渡されたゴーヤを使ったゴーヤちゃんぷる
・馬場さんちの手作り天然酵母パン

牛乳、めちゃめちゃ美味い!
トウモロコシ、甘くてジューシィー!
ゴーヤ、めんそーれ!
馬場さんちの天然酵母パン、しっとりとした食感と噛めば噛むほど味と風味が口の中に広がり、くっそ美味え!私、最近パンの食べ歩きに凝っているのですが、馬場さんちのパンは毎朝食べたいくらい美味い!天然酵母のパンって、イーストを使う場合とは違い、酵母を含む素材の管理がすごく難しくて(酵母や種の温度管理を間違えると、膨らまない、膨らんでも気泡が小さくておいしくない、など)、高い技術がないと安定的に焼き上げることが困難なものなのです。それをご夫婦でしっかりと手作りなさっていることに、密かに感動しました。どなたか、通信販売の注文シート持っている方いらっしゃいませんか?東京でも食べたいので、マジでシェアさせてください!


一人無言でパンに集中する筆者




と、そこへ保坂さんとこのおじいちゃん(良知さん)がいらっしゃいました!


良知さんには、この後のアクティビティで村内散策のガイドをお願いしていたのですが、ちょっぴり早くご到着され、我々が朝食を取っている間村にまつわる言い伝えや祭囃子なんかを披露してくださいました。この祭囃子がね、どこか懐かしく、パンチが効いていておもしろかった!


それでは、ここからいよいよ合宿二日目のメインイベント!
分散活動をご紹介します!!




◆分散活動①サイクリング

OLJの得意とするアクティビティ、山登りサイクリング。
コンパスポイントも、体力に自信のある肉体派のメンバーが参加しました。

じゃ~ん!






時を翔ける少女



絶景かな絶景かな




山の上には湖がありました!



帰りは楽ちん!



サイクリング、予想以上に過酷だったようで、普段克己し慣れている小沼主将もさすがに堪えたようです。ケビンさん曰く「ごめん、ちょっとやりすぎたかも・・・笑」
みなさん、お疲れさんでした!!






◆分散活動② 援農

栄村にある農家にお邪魔し、稲の手入れを体験させていただきました!




ここでは、稲の間に生えた「ひえ」を刈り取る作業を手伝わせていただいたのですが、屈強な男性陣が「稲とひえの迷路」に囚われなかなか進めないでいる中、某農学部出身の女性が猛スピードでひえを刈り取っていったとのこと。。。

N君「オラ、あんなはええ奴見たことねえだ」
I君「拙者、彼女の太刀筋が見えなんだでゴザル」


スイカで一休み



筋肉万歳!






◆分散活動③ 集落散策

保坂良知さんに近所の集落を案内してもらいました!



山の中腹にある祠



なんとも「もののけ姫」って感じですね。
ちなみにこの祠の前はちょっとしたスペースになっていて、その昔、いじめっ子がよくここに人を呼び出していたそうです。どこにいても、いじめっ子の行動パターンて変わらないのですね(笑)



おや、棒の上にエビスの缶が被せてある変な庭を発見しました、、、



そこに突然、斎藤充子さんが車で現れました!どうやら斎藤さん家の庭だったようです!
我々を発見した充子さんは、早速庭に生っているミニトマトをごちそうしてくれました!




充子さん、親切にいろいろ教えてくださってどうもありがとうございました!!



つづきまして、良知さんの「みょうがの畑」にてみょうが取りをしました!
みょうがは、山の中腹のちょっと湿った斜面で栽培されていました。1メートルくらいの茎が生い茂る中をかき分けて進み、土の柔らかい地面に隠れているみょうがを探します。




最初はなかなか見つけられなかったのですが、慣れるとそこかしこにみょうがが発見できて、楽しいのなんのって!


こんなにいっぱい取れました!




ちなみに、みょうが大好きの筆者は、取れたてのみょうがを実家にて早速いただきました!

みょうがそば  みょうが入りかき揚げ 栄村の取れ立て野菜のてんぷら

良知さん、すごく楽しかったです!案内してくださって本当にありがとうございました!!





◆分散活動④ 集落オリエンテーリング

オリエンテーリングは、友絵さんとケビンさんが一生懸命準備してくれたのですが、時間の関係で残念ながら今回は正式な分散活動にすることができませんでした。しかし、時間に余裕のあった集落散策組のうち、体育会系の3人で強行させていただきました!

第一のチェックポイント 友絵さんとケビンさんの家

第二チェックポイント スイカを食べる金の鯉


第三チェックポイント 赤と青の屋根


第四チェックポイント(?) イワナ釣りのおじいさん

もうずっとイワナ釣りをされているそう。
「大抵のことは数年もすれば飽きるけど、イワナ何十年経っても全然飽きない」とのこと。う~ん、すごい奥が深いんですね~。やっぱり自然を相手にするからなのかな~?


せっかくなんで、イワナも棲めるくらいの清流で遊んでみました。






◆番外編 森宮野原駅

オリエンテーリング組が村を歩いていたら、農作業から帰宅した斎藤文成さんにばったりお会いし、文成さんの車で森宮野原駅などに連れて行ってもらいました!




駅の中には絵葉書館もあり、たくさんの著名人が書いた絵葉書が展示されていました。


さぶちゃん


天才



びっくりするくらいいろんな著名人が来ていました!


そんな中、きらりと光る一枚が。。。




駅の1階から3階にかけて、歴代の積雪量を示すスケールがありました。平均積雪量は約3m、昭和20年代に記録した過去最高積雪量は約7m強、3階建の家に匹敵します。


夏の、比較的楽な時期に訪れるだけでなく、厳しい現実を知るために、冬にもう一度訪れたい、と思いました。


この後、みんなに内緒で文成さんにソフトクリームをごちそうになってしまいました!
もちろん、久保田さんのお店で!





さてさて、いよいよ旅も終りに近づいてきました。
実質24時間ちょっとの短い間でしたが、個人的には、冗談抜きで自分の価値観を揺さぶられるような体験でした。友絵さんとケビンさん、今回の合宿を企画してくれた3人、参加してくれたみんな、ほんとうにありがとう。

友絵さん&ケビンと企画者の3人




以下、勢いあまって個人的な想いをつらつら書きます。

コンパスポイントのミッションは、
「若手社会人が胸に秘めた志をカタチに変えること」
ですが、今回の旅行は自分にとって間違いなくその「契機」になりました。

地域開発にかかわろうとか、農家をやろうとか、
あるいは今自分がやっている生活や仕事をもっと一生懸命にやろう、
というような直接的、短期的なきっかけを得た訳ではないけれど、
今回の旅行で感じたことや考えたこと、出会った人々の言葉・ぬくもり、
自然の美しさや厳しさ などのすべての要素が、
今後自分が考え・行動し・感じることに対して、ちょっとずつだけど
確実に影響を与え続けていくんだろーなー、
という確信があります。

そういったちょっとずつの変化が積もり重なって、
コンパスポイントで栄村に来れた人生は、来れなかった人生とは、
長い目で見ると大きく違ってくるんだろーなと思います。

One Life Japanとコンパスポイントのメンバーで来た栄村での二日間は、
自分にとっての「契機」に、しっかりとなっています。。



ながながとお付き合いいただき、どうもありがとうございました!

今回の合宿が、関わったすべての人にとって、ほんのちょっぴりでもいいので
各々の「コンパスポイント」を見つめなおすきっかけになっていることを願い、
報告レポートの筆を置くことにします。




おしまい